感覚を信用しない——データで子育てするという実験
私はエンジニアで、感覚を信用していない。正確に言うと、感覚は仮説としては優秀だが、仮説のまま意思決定に使うと事故を起こす——ということを、仕事で何度も見てきた。システム障害の「たぶんこの辺が原因」も、事業判断の「なんとなくいける気がする」も、検証を挟まなかったときに限って高くつく。
家庭学習は、その「感覚のまま意思決定する」世界の最たるものだと思う。子どもが何につまずいているかは、採点の赤ペンと親の記憶と「なんとなくここが弱い気がする」という印象の中にしかない。教材を変える、塾を変える、時間を増やす——どれも大きな決定なのに、根拠は感覚だ。
計測できるようにしてみた
だから我が家では、AIを使って家庭学習を計測可能にする仕組みを自作した。解いた一問一問が記録として残り、どの領域で、どんな間違い方を、どれくらいの頻度でしているかをデータで見られるようにした。その分析に基づいて翌日の問題を組む。この運用を毎日続けている。
わかったことをいくつか書く。
第一に、感覚は思ったより外れる。 「ここは得意」と思っていた領域に系統的な間違いが潜んでいたり、「苦手」の正体が知識ではなく問題文の読み方だったりする。印象は最後に見た数問に引きずられる。データは全部を覚えている。
第二に、感覚は思ったより当たる。 矛盾するようだが、これも本当だ。親の「なんとなく怪しい」がデータで裏付けられることは多い。つまり感覚は仮説として優秀で、だからこそ検証とセットにすると強い。捨てるのではなく、昇格試験を課すのだ。
第三に、記録は裏切らない。 加工した集計はバグるし、分析の切り口は後から変えたくなる。しかし生の記録さえ残っていれば、いつでもやり直せる。これはシステム運用の教訓そのままだった。
高価な機材は要らない
誤解のないように書くと、これは「全家庭がシステムを自作すべきだ」という話ではない。核心は道具ではなく態度で、大きな決定の前に、印象を一度データで検証するというだけのことだ。テストの点ではなく間違えた問題の中身を見る。「最近たるんでる」と言う前に、実際の学習時間を数えてみる。それだけでも、決定の質は変わる。
とはいえ、道具があれば態度は続けやすい。私が使っている仕組みは、家庭で再現できる形に整えてAIドリルキットとして公開する予定だ。感覚と喧嘩せず、感覚に検証を付ける——その実験は、いまのところうまくいっている。