AIを使い倒すには、結局「4教科」が要る
「AIがあるから、もう勉強しなくていい」。この言説には、静かな事実がひとつ抜けている。AIを使えない人が、現にいるということだ。全員が同じチャット画面を開けるのに、引き出せる成果はまるで違う。無料で誰にでも開かれた道具なのに、差がつく。むしろ、誰にでも開かれているからこそ、差の原因は道具ではなく人間の側にあることがはっきりしてしまう。
その分かれ目はどこにあるのか。2年間AIで仕事をし続けた実感で言えば、関門はふたつある。
関門1: AIに指示が出せるか
AIは、言葉にできたものしか作れない。「なんかいい感じにして」から先へ進むには、求めるものを構造化して言語にする力が要る。何が目的で、何が条件で、何が除外か。これは突き詰めれば国語の力だ。読んだものを要約する、考えを筋道立てて書く——作文や読解でやってきたことが、そのままプロンプトの質になる。
関門2: AIの答えを理解し、疑えるか
もっと大きな関門はこちらだ。AIは滑らかに間違える。返ってきた答えが正しいかを判断するには、答えの中身についての知識が要る。
数字が出てくれば、桁感覚とおおよその暗算——算数だ。世の中の仕組みに関する話なら、歴史や制度の前提知識——社会。自然や技術の話なら理科。知識がないと、間違いに気づけないだけではない。そもそも何を聞けばいいかがわからない。質問は知識の上にしか立たない。知らない領域については、人は「知らないということ」すら知らないからだ。
そして知識に加えて、好奇心・探求心・根気が要る。AIとのやりとりは一往復では終わらない。聞き、疑い、確かめ、聞き直す。このループを回し続けられるかどうかは、性格ではなく習慣の問題で、習慣は学習の中で作られる。
だから私は、古典的な基礎を固めている
私は自分の家庭のために、AIで家庭学習の仕組みを作って毎日運用している。AIをふんだんに使ったシステムだが、そのシステムの中で行われている学習は、拍子抜けするほど古典的だ。計算し、漢字を書き、文章を読み、間違え、翌日また解く。
矛盾していない。AI時代の基礎学力は「AIに代わられるもの」ではなく、AIを動かす燃料だからだ。燃料の作り方は、いまのところ昔と変わらない。変わったのは、その燃料が動かせる機械の性能——つまり、学力一単位あたりのリターンのほうだ。
勉強する理由の全体像は「たぶんできそう」を身につけるに書いた。あわせて読んでほしい。