「たぶんできそう」を身につける——AIが何でもしてくれる時代に、それでも勉強する理由
私はIT業界で25年働いてきた。システムコンサルタントとプロダクトマネージャーを15年、そのあとPythonを書くエンジニアを10年。その25年の中で、この2年ほど仕事のやり方が根本から変わった時期はない。いま私はAIのサブスクリプションに月3万円以上を払い、AIコーディングエージェントと一日中仕事をしている。設計を渡せば、実装が返ってくる時代になった。
では、人間の仕事はどこに残ったのか。2年使い続けた実感として答えると——「たぶんできそう」という見立てを立てることだ。
AIは「たぶんできそう」を現実にする装置
エンジニアの仕事の入口には、いつも見立てがある。この要件はたぶん実現できそうだ。この設計ならたぶん壊れない。ここはたぶんAIに任せられて、ここはたぶん人間が検証しないと危ない——。
AI以前の世界では、見立てのあとに長い実装の時間があった。「たぶんできそう」と思ってから、実際にできるまでが仕事の大半だった。いまは違う。見立てさえ立てば、AIがそれを現実にする。逆に言えば、AIは「たぶんできそう」そのものは作ってくれない。何を作るべきか、どこまで任せてよいか、返ってきたものが正しいか。この判断は最後まで人間の側に残る。
見立ては、学習でしか作れない
「たぶんできそう」は勘ではない。それは知識の網の目から生まれる。似た問題を解いたことがある。この技術の限界を知っている。失敗したときの形を覚えている——そういう蓄積が、初めて見る問題への見立てを可能にする。
つまり見立てとは、学習の別名だ。私の25年の蓄積は、AI以前は「作業を速くするもの」だった。いまは「AIに何をさせるかを決めるもの」として、これまでの人生で最も高い利回りで働いている。
子どもにとっての意味
「AIが何でもしてくれるなら、勉強はいらない」という理屈をよく見かける。私の実感は正反対だ。AIが強力になるほど、見立てを立てられる人とそうでない人の出力の差は開く。同じ道具を持っているのに、片方は設計図を渡せて、片方は何を頼めばいいかすらわからない。
勉強する理由は、AIに置き換えられないためではない。AIを使う側に立つためだ。学んだ知識は、AI時代には「自分で全部やるための道具」ではなく「AIに的確な指示を出し、答えを検証するための土台」として働く。土台の作り方は昔と変わらない。読み、書き、計算し、世界の仕組みを知る。地味な話だが、地味な結論こそ疑う理由がない。
具体的に「土台」に何が要るのかは、別のコラムで書く。